2011年1月9日日曜日
悲惨な家庭ー12
小学3年生の時だった。絵が上手な先生だった、然し痩せ型の神経質な面があり私には常に注目していた。勿論悪い面である。二学期も終りごろであった突然奥さんが亡くなった。僕ら学級の者は皆で弔いに行った。先生は面子も何もかなぐり捨て怒号して居るかのようにわめき散らし泣いた。僕はちょっと可笑しかった。それから2ヶ月もせぬ内に、きれいな女の先生が毎日教室に来て一緒の机で何やらヒソヒソと話をするのであった。其の日は僕ら5,6人は掃除当番で教室の雑巾掛けをしていた。女の先生はスカートをはいて机に向かって先生と話の真っ最中であった。他の男の生徒連中は何やらニタニタしている、とっさに意を解し僕が斥候の役目になり、女先生のパンツの色を確かめに、雑巾がけの振りして机の下に潜り込んだ。上目使いに見ようとしたらキャーッと女先生の声がして僕を指差し何やらわめいた。と同時に此の馬鹿やろうと先生の怒号が飛んだ。此れは仕舞ったと思ったのは後の祭りであった。女先生は恥ずかしそうな顔してサッサと教室を立ち去ったそれからが大変であった。襟首を捕まれ引っ張り上げらた。いきなり理由も聞かれずビンタが飛んできた。先生には僕が何を企んだかすべて知っていたのである。掃除をしていた仲間達は、家に帰れと開放され僕だけが教室に残された。長々と説教され最後に女先生に対する侮辱を親を学校に連れて来て一緒に謝れと言った。此れには困ったこんな事を親にはいえない、黙っていたら2日後母が私を呼び付けヒステリックに怒鳴り卑猥な言葉をあびせて僕を罵った。お前は父親の血を受け継いだ汚らわしい奴だと言った。それを兄は陰できいていたのだ。翌日学校に行くと担任の先生は吃驚した顔で僕をまじまじと見た、顔は腫れあがり目が潰れそうに醜くなっていた。先生は何も言わなかった僕も何も言わなかった。
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