2011年1月7日金曜日

悲惨な家庭ー10

先生は何でもお見道しであった。三学期が始まって一週間過ぎた、最後の授業時間が終わり皆が帰りだした時、先生は僕を呼び止め職員室に来いと言う、いやな予感がした先生に付いて職員室に行った。先生が机に付くと其の横に立った、すぐさま先生は皆の夏休み宿題帳を取り出した。中から僕の宿題と級長の宿題を選び出した。先生は宿題帳を指差してこれはどうした事かと詰った。どうしたもこうしたもない、級長の宿題を丸写ししたのだ、とあっさり言えば良いをものをどうしても言えない。しばらく黙っていると、頬にびしゃっとビンタが飛んできた。これくらいのビンタは兄の折檻に比べれば何の事はない、此れくらいだったら何ぼでも耐えられると思った。昔は先生が躾の為に小さな暴力を振う事は許された当たり前の事だった。ケロットした顔で立っているなと先生は思ったのか、今度は少し酷く両手で往復ビンタを張ってきた。ちょっとふらっとしたが何の事はない、もっと叩いてもいいよと言わんばかりにニコットして見せた。先生はチョットビックリしたのか、先生までニコットしたこれでシメタものだ。遊ぶのに忙しく宿題は出来なかった、級長に無理に頼んで丸写しをさせて貰った。級長は決して悪くはない、私が無理強いしたのが悪かったと言って此れからこういう事はしません、悪う御座いましたと深々と頭を下げた。此れで1件落着合い成ったと思ったのは大間違いだった。先生は此の件を母に告げたのだ、母が私を叱るのを兄が聞き耳を立てていた。其の晩皆が寝静まるのをまって、兄の説教が始まった。許して下さいこれからは決してこんな事は致しませんと頭を畳にこすり付けて謝るが兄は許す訳はない。彼がするまま耐える他はなかった。ビンタが飛ぶ先生のより勢いが強いのである、頭を物差しで叩く痛いのはどうにか耐えられる事だったが。一番耐えれないのは首を絞められて苦しい事だった。毎回の事ながら体がぐったりなるまで続いた。

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