2011年1月9日日曜日

悲惨な家庭ー11

兄の暴力は家庭の不和ばかりでは無い、私の行状が起爆剤になっている事が多かった。私自身いたずらや小さな悪さをする事は面白くて仕方無かった。また子供の仲間達は私を大将に仕立てる、其の優越感は子供心に最大の勇気を与えた。仲間は最後の責任は私がとってくれるものと思っている。此れは拙いなと思う事も仲間の勢いに押されてしまうのだ。西瓜畑に入り西瓜をひとつ失敬するのはまだましで、腹いっぱい食べ終わると、目ぼしい熟れていそうな西瓜を踏みわって歩く。畑の主はかんかんに怒って先ず私の家にくる、仲間の大将の事を知っているからである。其の内半分以上は私には覚えのない事ばかりだ、他の連中がやった事だと言い張るが聞き入れない。いつも母が応対するがいい加減な交渉で妥協してしまう。それでは私の気持ちが収まらない不満をぶちあけ抗議をするが肝心の事には答えず兄に告げ口をする。そうなると夜兄と寝るのが怖いのだ、晩飯を済ませると恐ろしさがひしひしと迫って来た。どうしようも無い不安につい裏口から家を出てしまった。何処に行く当てもなく裏道を彷徨っていると墓場に向かっていた。気味が悪くなって帰ろうとしたら、冷たい風がすうーっと背筋に走った。鬼の顔が目の前にはだかったからだ。思うに気味が悪い事ぐらいは兄の折檻よりうんとましだと思い返すのであった。お墓の入り口に地蔵を祭った小さな祠がある。そのお地蔵さんの後ろに寝れるくらいの隙間があった。此処なら誰も来ない見つからない安全な場所であった。薄気味悪い石塔が肌寒い風に揺れて今にも幽霊になって私を襲うように感じた。恐ろしくてぶるぶる震えていたが時がたっても何事も起こらなかった其のうちに眠って仕舞った。どのくらい時間がたったのか、目を覚した時は東の空は明るく成っていた。飛び起きて誰とも出会わぬ事を祈りながら家に帰った。家に着くとこっそりと裏の味噌小屋に隠れて寝たのを覚えている。

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