2011年1月16日日曜日

悲惨な家庭-22

正月も過ぎいよいよ中学の入学試験が近づいた、今まで筆記試験があったが今年から口頭試験だけになったそうだ。筆記試験の代わり内申書が行くらしいと、子供達の間で盛んに言いふらされていた。その内申書に手心を加えて貰おうと、誰それの親はこっそり先生と会っているなどと陰口を言い合っている子供達もいた。小学校の卒業が近くなった頃中学の入学試験の日がやって来た、先生が言われていたような質問ばかりだった。最後に日本は米英連合国に何故宣戦布告をしたかを聞かれた。日本の必要な物資ガソリンや鉱物資源などの輸入輸送停止線などを引き、妨害を始めたからだと答えた。後は先生から教わっていた事を言って無事終わった。発表の日従兄弟を連れて中学校の体育館に入った。僕は内申書に不安があった、行儀の欄がクラスで最も悪かっただろう。発表の当選番号を見るのが怖かった、下を向いていると従兄弟が頓狂な声を上げ数字が付いていると何度も繰り返し僕を促し指を刺して確認をさせた。確かに番号は有ったじわじわと胸に喜びの実感が湧いて来た、つい万歳を叫んだ周囲の者もそれに吊られてかどっと歓声を上げた。今日から中学生になったぞ勉強に励んで軍人になる事を新たに決意した。兄は東京の技術学校に入ったそうだ、4月から東京に友人を尋ね下宿をして学校に通うそうだ。中学に入学と同時に兄も居なくなる暴力も無くなってしまう、二重の喜びに飛び上がって喜んだ。母も久しぶりに笑顔をみせ父も同席で祝いの赤飯が飯台に上がり、兄と二人の進学を祝ってくれた。その光景は悲惨な家庭の幸いの一瞬の真似事であった。

0 件のコメント:

コメントを投稿