2011年1月4日火曜日

悲惨な家庭=8

夏休みの宿題をせねば成らないが、毎日の天気を付けていなかった。昼飯をかっ込み組の級長をしている友達の家に行った。彼は生真面目に勉強するので宿題も最後近くまで済ましていた、後は毎日の天気を記入するだけになっている。彼にだけはこっそり僕の秘密を少しばかり話をしていた。僕の境遇に同情してか何かと親切にしてくれるただ一人の親友である。宿題の事を話すとそんな事だろうと思っていたと言った、丸写しに近い問題解決を手伝ってくれた。2時間たらずですっかり終わり、天気だけは毎日忘れない様に付けておけよと彼は言った。夕方にはまだ時間がある、近所の小川に泳ぎに行こうと誘って行った。既に大勢の子供達が水遊びに夢中になっていた。大きな岩がある下は深い淵になっていた。岩はさほど高くは無いその上によじ登り頭から飛び込むのだ。二回目だった足が滑って岩の近くに落ちた、運悪く岩の突起に向こう脛をいやっと云うほど打ち、骨が折れたのではないかと思った。溺れるかと思うほど痛みが走った。やっと這い上がり脛をさすっていると親友が心配してやって来た。歩いて帰れるかと言う、なんとか歩けるだろう彼の肩を借りて歩き出した。ずきずき走る痛みを堪えながら、泣き出しそうになるのを歯を食いしばって耐えに耐えてやっと友人の家に着いた。友人のお母さんが私の脛を見て診療所に連れて行こうとした。私はそれを必死になって断った、兄貴の顔が目の前に見えるのだ。あまりの断り方に彼のお母さんは不審に思ったが仕方なかった。然し私の痛みは酷かった、ひどい痛みを耐えに耐えたどうして耐えきるのか。それは日頃兄貴の暴力に耐えねばならない賜物であった。子供仲間の喧嘩など、年上の悪がきに殴られ蹴られる事など、何の苦痛にも感じなかった殴られても蹴られても立ち向かう。仲間の間では勇敢な度胸者のガキ大将であった。

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