2011年1月16日日曜日
悲惨な家庭ー21
夏休みも終り学校に通い始めた、所が学校の様子が以前と違っていた。先生達の洋服が軍服みたいに国防色になっていた。子供ながら国際情勢が差し迫っている事を感じた。集落でも何人かが召集された。青年になったばかりの若い人が大勢の人に熱烈なお祝いを受け、歓呼の声に日の丸旗の波を背に勇ましく出征して行った。その姿は子供の胸に大きい感銘を与えた。此の頃からであった、大きくなったら軍人になりたいと強く思い出した。もうすぐ冬休みが始まる寒い朝だった、日本は本日早朝米英他の連合国に宣戦を布告した、そして日本の艦載機が真珠湾の敵艦隊に攻撃を開始何隻もの敵艦を撃沈大戦果をあげたと、朝礼の時に校長先生が訓示した。いよいよ世界を相手に戦争を始めたのだ、大本営発表は連日の様に大勝利のニュースを新聞やラジオで大々的に流していた。子供なが、ら胸が高鳴り感極まり万歳をする程であった。全身に力が湧いてきた兄の暴力など何のその、これからはそう簡単にやられるばかりでは無いぞと張りきった。友達の間でも勝った勝ったの大騒ぎであった。家に帰って姉達を相手に日本は世界を相手に勝ちまくっていると、自分が勝っている様に騒ぎ立てた。兄が聞きつけて馬鹿野郎騒ぎ立てるなと怒鳴った。僕はその時気が立っていたのだ、興奮して兄を睨み付けた今までになかった勇気である。兄は僕の顔を見て何生意気なとビンタを張る手を上げた、僕は必死になって其の手を払い除けた。今迄に無かった勇気が湧いたのだ。兄はチョットたじろいたが、すぐ僕を引き寄せ首を絞め始めた。苦しくなった、体が参る前に何とかせねばをならない咄嗟に考えた。首に巻きついいた兄の腕の上膊部が目の前にあった。ヨシッとばかりに渾身に力を込めて其の上膊部に爪を立て肉に食い込めと握り込んだ。痛い何をするかと絞めている腕を引き抜こうとした、その腕にぶりさがった。兄はもう一方の手で殴ったり足で蹴ったりしたが離さなかった。流石に疲れたもう限界である投げ捨てるように突き放した。兄は余程痛かったのか腕を手で庇い乍後で見ていろとか何とか喚いて立ち去った。その後暴力は殆ど無くなったが時々ビンタを張ろうとすると僕が俄然と向き直り睨み付けるので手を引込め暴力は無くなった。
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