2010年12月30日木曜日
悲惨な家庭ー5
私の家は建坪約40坪ぐらいの二階家で、集落では大きい方であった。一番奥の座敷部屋は周り縁になって、その縁側は奥行き10メートルぐらいの作り庭になっていた。近くに水泉がありそれを取り囲むように、丸く刈り上げた柊があり、つつじの小木が並び皐月があった。3メートルもある枯れ木にテッセンの弦が巻きついていて、7月ごろ青紫色の奇麗な花がさいた。それらの後ろ側に山椒の小木があり、まきのき、橙の木、ほかに広葉樹が数本立っていた。その奥は境界線の塀などはなく竹やぶが覆い茂っていた。その庭には数個の大小の石が配置され、景観を引き立てていた。時々その大きな石を父は自分で配置換えをしては楽しんでいた。その時大きな石を移動させるのに梃の鉄棒があった。その日はその鉄棒を持ち出し一人で遊んでいた。直径3センチぐらい永さメートルはあった、子供には結構重たかった。持ち上げたり振り回したりで汗ばんだ頃、帰ってきた兄貴に見つかった。おお体を鍛えているのかと皮肉を言い、いきなり私の手から鉄棒を取り上げた。どうされるのかと戦々恐々怯えていると、横腹をいやっと言う程鉄棒で殴られた。痛くてうつ伏せに倒れると、鉄棒が上から落ちてきた背骨が折れるかと思った。泣きながら倒れていると、此れくらいでへたばるとは弱虫と笑われるぞ、と言って襟首を捕まれ引き上げられ、其処に立っていろと言った。もう我慢できないと哀願して許しを請うた。それでは最後に此の鉄棒を頭で受ければ許してやると言う、抵抗でもすればもっと折檻が続く否応なしに立っていると、鉄棒を掌に立て此れが倒れるのを頭で受けよといった。観念して目をつむっていた、轟音とともに落雷が頭に落ちた様なショックで倒れた。何時たったか一瞬であったかも知れない、目を開くと兄貴はもう居なかった。前頭部に大きな瘤ができ赤くなっていた。2ー3日頭痛がしたと思う、以後の偏頭痛は此のせいかも知れない。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿