2010年11月30日火曜日

ガリンペイロ11

朝から降っていた雨が小降りになったので、作っていた流し台と小道具を持って現場行く。昨日積んでいたカスカリョは、雨にたたかれ半分ぐらいになっている。ジョンは雨が洗ってくれて手間が省けたと言った。とにかく早く洗わないと大雨になったら大変だと、皆一生懸命になって洗う。半分ぐらい洗って仕上げをしてみると、黄金色に輝いた砂金が大匙二杯ぐらい出来た。初めて手にするもとまった砂金である。空が暗くなり始め居たので、後の半分は明日に持ち越した。                     昨日残していたカスカイリョを洗いおわって、小屋にひきあげどれくらいになったか、ピストルの薬きょうではかる。38口径の薬きょう1杯がだいたい12グラムである。8杯約100グラム現在の価格で50万円だい収穫である。国営銀行の金買い上げ所にもって行く。素焼きの器に薬品を入れ銅や他の鉱物を分離させながら、高温のバーナを吹きつけ山吹色の金塊が出来上がった。買い上げ所のカウンターで秤の上に乗せる。思ったよりうんと少ない、それでも75グラム半小切手をもらい。皆で銀行に行き真新しい札束を小屋に持って行く、半分を僕が預かり半分を皆で平等にわけた。

2010年11月27日土曜日

ガリンペイロ10

掘り始めて3日目砂利の色が茶褐色になった。ひょっとしたらカスカイリョ(金含有砂利)かもしれないと、ジョンがテストした。紛れも無く砂金があった皆が飛び上がって喜ぶ。雨が降っているにもかかわらず、その砂利を取り上げるのに必死である。カスカリョの層は30センチ程である、隅の方から斜めに50センチ幅で3メートル程走っている。ずぶ濡れになりながら取り上げてしまった。明日砂金をとるための流し台などを作ることにして、小屋にひきあ

ガリンペイロ体験記9

谷間と言っても広い台地になっている。あちこちガリンペイロ達が掘りまくった跡がある。途中で諦めたのか浅い水溜りになった区画があった。周囲の状況からして砂金の層がありそうでだとジョンが判断した。それではと池になった水を汲出さねばならない、道具は小屋からもってきていた。バケツやバッテイヤで3メートルX3メートルのひろさに50センチの深さを一時間あまりでほしあげた。ツルハシを使う程でもない二丁のスコップ二人交代で掘り始めた。幸い雨は小降りで溜まるほどではない、一メートル掘った所で昼食2キロの道を歩いて帰る。昼食を作る間仲間は休憩、手っ取り早く用意し食事は素早く済まし走るようにして戻る。50センチも掘ると小石が混ざった層になった、スコップだけでは掘れないツルハシがいる。4時間かかって50センチ進んだ、午後6時近くになった赤道直下は暗くなるのが早い、途中山道だ道に迷う危険がある早く切上げてかえった。

2010年11月21日日曜日

ガリンペイロ8

炊事係りになったものの戸惑うばかり。一緒に入山した5人のガリンペイロは僕の作るものに慣れていたので問題なかったが、他の5人が食事について不満だらけである。その中の通称ジョゼは日本人に対する偏見もあって、罵倒するばかりか食器を投げつける。その乱暴に腹らわたは煮えくり返り手に持った包丁を突き出そうと思った瞬間、様子を見守っていたジョンがさっと近寄り、前をさえぎって話しかけてきた。何も話はないが突然笑い出し訳もないことを言い出した。おれの危機を救ってくれたのだ。そんなことや些細な事件が何度かあったが、炊事係りは弱いものガリンペイロの不満の吐き出し所なのである。その事を肝に銘じて少々の小言は聞き流しそ知らぬ顔をする事を覚えた。そうこうするう内に10月になった、空は一面に雲が覆い雨季がやって来たのである。一週間もせぬうちに豪雨が雷の轟音を引き連れてやってきた。現場は泥水が流れ込みとても仕事することは出来ない、雨期明けは来年の3月頃である。噴火口様になった現場は大きな池になる、政府が設置している汲出しポンプは全力稼動しても豪雨には勝てない。雨期明けまで全山仕事中止になった。ガリンペイロは三三五五故郷に帰り始めた、しかし帰る旅費もない奴は小屋に居座る。パトロンはそれらを賄わなくてはならない大変である。私も今更帰る訳には行かない、近くに少量ながら砂金が出る谷間がある。連れて来た5人達と現場に行って見ると、何とか仕事できそうだ小屋から2キロくらいだ毎日通ってやってみる事にした。

2010年11月20日土曜日

ガリンペイロ体験記7

現場はすり鉢状に既に50メートルぐらい掘り下げている。あちこちに金脈に行き着いた話で盛り上がっていた。私達が働いているほど近い場所10mも離れていない区画に、砂金を含有している金脈が現れた。さあ大変盗まれないように警官を呼んで物々しい警戒、砂金が含まれている砂利を麻袋に入れて担ぎ上げ始めた。麻袋と言っても今はナイロン製である。スコップに6,7杯入れて20キロぐらい、運び係か担いで50メートルの絶壁を登る。所によっては梯子をかけた場所もある、並大抵の体では持ち堪えれない重労働である。私にはとても出来っこないなんでこんな所に来たのかと、今更後悔する始末であった。然し金脈に近い明日にも我々の区画にも現れるだろう、わずか5%との分け前と言っても100キロ出れば5キロのとり前2千万円である。成金とは言えなくてもアパートを2.3軒は買える、ここで諦めてみすみす引込む訳にはいかぬ。ジョンに相談しスコップ係か楽な場所を頼む。都合よく炊事係がマラリアで寝ついてしまった。天から降ってきた幸運であった。

2010年11月19日金曜日

ガリンペイロ6

とうとうマラリアに罹ってしまった、ガリンペイロになるには避けては通れぬ洗礼である。仕事するガリンペイロ達と一緒に寝泊りする訳には行かぬ。近所にガリンペイロ達に食べ物を売っている通称ゴールドと言う男が俺の小屋に来い、ハンモック吊って寝るぐらいは何ぼ居ても構わぬと親切に言ってくれた。寝るだけはまだしも毎日の食事も賄って、親切にしてくれ本当に感謝感激であった。毎日保険所まで地を這って通い、7種類の錠剤を口にほおりこみ一週間通った。罹ってすぐに手当てしたのが良かったのか、血液検査も陰性と出てすっかり直った。
翌日ジョン達が働いている小屋に行き、俺の仕事があるのか尋ねて行った。炊事係は他のやつがやっていて働く場所はなかった。それでもパトロンが皆と一緒に働いて居ればいい、分け前は皆と同じ5%で契約してやるという事で、現場で働く事になった。

2010年11月17日水曜日

ガリンペイロ5

現場に入ったもののどうやって仕事をするのかさっぱり解らない。元々入山する時ブラジル人のガリンペイロ仲間を5人ほど連れていた、彼らと相談し先ず食べる事、寝ることを解決しなければならない。リーダー格のジョンが5人の労働者を受け入れてくれるパトロンを見つけて来た。条件は食事、住所は無料だが一定の決まった給料はなし、砂金を取り上げた時にその半分をパトロンが取り、後の半分を労働者が分けると言う事であった。こういう言う働き方をメイアプラッサと言う。金が出なければただ働きの働き損である。一つのメイアプラッサのグループに10人が居る、その内訳は一人がツルハシ係り、スコップ係り7人が運搬係で最後の一人が炊事係である。炊事係は一番楽な仕事だが誰もやりたがらない、一番弱い奴で又半分女である俗に言うお釜なのだ。リーダーのジョンはお前は年だし体力も無いから炊事係をやれと言う。ちょっと戸惑ったが自分の体力の事を思うといたしかたなかった。何もお釜はきっぱりと断ればいいと覚悟を決めた。所が仕事を始める矢先、体全身が猛烈に震えだした。マラリアである、幸い保険所があるそこまで地面を這って行った。折角の仕事を失いこれから先の不安とマラリアで一週間以上を苦しみ貫いた。

ガリンペイロ4

セーラペラーダの区域は本来ドウセゼウ会社が持つ鉱区権内である。日本の日鉄が投資経営しているカラジャス鉱山と同区域内である。ガリンペイロが発見したと言え、元々は自分たちの権利がある土地黙ってみているわけにはいかない。後ほどの事件に色々と関係してくきたのであった。然し此の会社は政府も合弁である。下手に取り上げる為の工作など仕様ものなら、反政府混みの暴動に発展しかねない。そこで政府はガリンペイロ達の味方をよそおって、治安や衛生を口実に管理部隊を派遣した。保険所を建て警察署を置き管理事務所を置いた、ガリンペイロ達も他の鉱区の様な無法地帯と違い安心して、働けるので前にも増してガリンペイロが集まり、1年足らずで食料補給や衛生面治安、色んなことに支障をきたす様になった。政府はこれ以上の入山者をとめる為入り口に検問所を設けた。何キロにも鉄条網を設置した。私が入山した時は既に検問所が設置されていた。それを突破するのに日本人と言う利点、先輩たちが培った勤勉と信用を大いに利用させてもらい、いかに自分がガリンペイロ達に貢献できるか、先輩たちには申し訳ないが詭弁を使い、監督官を納得させて入山したものである。

2010年11月15日月曜日

ガリンペイロ体験記3

私が体験したセーラペラーダ金鉱は1988年かと思うが、此処の農場で働いていた農夫が偶然に発見したものである。一旦金鉱が見つかったと言えば忽ちガリンペイロがおしよせる。ある程度の期間は秘密にして置きたかったのだろうが、発見したもののその採取法が解らない。近くの町、近くと言っても160キロ離れたマラバ市に行って、採取方法を知っているガリンペイロを探しているうちに噂は忽ちに広がり、何万人と言うガリンペイロが集まった。噂どうりザクザクと金塊や砂金が出た。一番大きい金塊は60キロを越したと言う、世界でも一番大きいといわれている。現場から500キロぐらい離れたアルタミーラ市に住んでいた日系のササノさんは、いち早く現場に駆けつけ800キロちかい金を取り上げたと言う。現在の価格で1キログラム5万ドル(400万円)概算で32億円である。一躍成金王様皆の羨望の一人になった。他に500キロ200キロと取り上げた数人のひとを聞いている。私もその内の一人になりたいと、飛び込んだのが1989年のなかばであった。

2010年11月14日日曜日

ガリンペイロ体験記二番

ガリンペイロと言えば、粗暴な無法者強欲者の集団と思われているが、それは一部の者達であって、マフィアの様な組織があり悪いことを職業とする集団ではない。ブラジルでは勝手に山に入り金やダイヤを掘りあさるのは 違法とは限らない。中には鉱区権等を持つ大企業の区域がある。其の中でさえいったんガリンペイロが金鉱を見つけ掘り出したら、ちょっとやそっとで追い出したりは出来ない。私が体験した金鉱はセーラペラーダと言う。処はアマゾン川流域に属するアマゾン地方である。アマゾン州の東側パラー州内、日本の日鉄が投資経営しているカラジャス鉄鋼山のちかくである。農夫が発見した個人の農場内である。農場といっても山あり谷あり平地在りの大農場で、いったん金鉱が発見されたら我もわれもとガリンペイロが押し寄せ、一時期は、5万人ものガリンペイロが集まり金鉱の現場は足の踏み場もなく、働いている者の喧騒とツルハシを打ち込む音が入り混じり、耳がつんざく様な轟音が山々の谷間に鳴り響き、強欲者が血眼になって働く姿はこの世の光景とは思えぬ全く別世界の地獄の中に放り込まれた観であった。

2010年11月2日火曜日

はじめまして一番

私はブラジルに住んでいます。今日からブログをはじめました、宜しくお願いします。ガリンペイロと言う言葉をごぞんじですか、これはダイヤや金を掘る人のことをいいます。この事について私はブラジルのアマゾンで6年間探検を含め経験や、実際にダイヤや金を掘りました。その経験談を本として発行しました。すでに本屋さんでは売り始めました、どうか読んでください。