2011年2月19日土曜日

混乱した青春ー8

相変わらず家庭は陰惨な状態である。兄は東京に行き虐待は無くなり僕としては平和な日々で喜んでいたが、母の嫉妬は前にも増しての激しさである。原因は父の行状にあるが、それに加えて父は芸者に大持て持ての美男子であった。その反対に母は化粧など余りしない肌色は浅黒く美人とは言い難い顔である。しかし頭はすごく斬れ素晴らしく良い人であった。容貌にコンプレックスがあったのであろう。また僕にだけ鬱憤を投げかけるのにも理由があった。その一つに僕の父親贔屓がある、それに増して時々妾宅を訪ねては小使い銭をせびったりした悪餓鬼であった。父には絶対に告げ口はしてくれるなと妾に言ってはいたが母は少しく感じていたのだろう。その日も荒れていた、妹と姉二人は、三人してお祖母ちゃんの家に遊びに行って家には母と二人だけになっていた。中学も三年になろうとしている外に出て遊んでばかりしていないで、上の学校に行く為勉強して準備を始めなさいと強く叱り付けられた。家に居て勉強など出来っこない家の中は地獄と同じだと言った。その言葉に母は激昂して傍にあった座布団を投げつけた、そして色んな罵声を浴びせかけ兄ちゃんが居れば良かった、兄ちゃんが居たらそんな暴言は許さなかっただろうと。母は兄の虐待を肯定しているのだ、何ともしれない虚しい感情悔しさ、憤りが胸にこみ上げてきた。涙がぼろぼろと流れ声を張り上げて泣き叫んだ。泣くだけがお前の言い訳かお前の様な悪餓鬼は居ない方が余程ましだとがなり立てた。僕はもう逆らう言葉さえ失ってしまっていた。心の隅に少しはなだめて呉れるかなと母の小さな愛情を待っていたが、そんな甘ったれた感情は微塵に砕かれ吹き飛ばされたのであった。僕はもう何処え行く所も誰に相談する事もできない、最早死んだ方が良いのかも知れないと死ぬ事が脳裏をかすめた。涙目を手で拭きじっと母の顔をみつめ、僕はもう死にたい死んだらお母さんも安心するだろうと、抗議を交えた感情で言い放った。母は何を思ったのか席を外し台所の方に行った。持ってきたコップと匙白い粉のはいった壜を前に出し、此の亜ヒ酸を飲んで死んだらいいと自分もその後で死ぬからと言った。僕は亜ヒ酸のビンをあけ匙でコップに入れようとするが、手ががたがた震え壜を叩く匙の音が虚しく鳴るだけであった。日頃大きな口を叩くくせ死ぬのが恐ろしい臆病な僕が此処に居た。走るように二階の部屋に行き布団を被りうつ伏せになって号泣した泣いて、泣いてただただ泣くばかりであった。

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