2011年2月18日金曜日
混乱した青春ー7
太平洋戦争が始まって二年近くになる戦域は広がり長期戦になるぞと皆言いはじめた。其の為か隣村に飛行場の建設が始まった。多くの働き手は兵隊に行ったので労働者が足りず、我が中学生も夏休み返上で建設作業に動員された、スコップを手にトロッコに土を積み込んだりして一日中重労働だ。まだ建設途中の300メートルぐらいの未舗装の滑走路を少年飛行兵だろう、二葉の練習機で飛び立っては帰りの繰り返しを始めた。練習機は10機ぐらいあった、ドイツ製のイングマンというそうだ。高く飛び上がり宙返りや錐揉みなどして練習する姿は羨望の的であった。ある日その一機のエンジンの調子が悪いのか、頼りない音をたて急に低空になり墜落するかと思ったがそこは教官同乗、飛行場すれすれの処で不時着した。そんな事が二、三回あったが、墜落して飛行兵が死んだとかは一度も聞かな無かった。この作業場に朝鮮半島から徴用された大勢の半島人がいた。何時も一緒に仲良く作業をしていたが、その中に一人異様に目が鋭く何時も我々に敵対する様な態度であった。日頃日本人から差別され蔑視されて居ると思いそれに反発し抵抗する態度が出るのであろう。確かに日本人は半島人を差別していた。然し我々中学生はまだ子供だったからだろう差別感情は無かった。ある日その目の鋭い半島人が僕の何が気に触ったのか僕の手からスコップを取り上げた、何をすると言って取り返そうとすると半島人はスコップを遠くえ放り投げた。僕は怒って彼に掴み掛かろうとしたが何様彼は青年の大男、勝ち目は全く無い手が出ないのである。其処に猛者が走って来た如何したのだ、うんこうなんだと説明した、それはど奴だ、あ奴だで猛者が彼に飛びかかろうとした時監督兼通訳が飛んできて中に入り、半島人と話をした後猛者に向うに行けと言った。猛者は納得出来ない彼を前に出せ決着を着けると言って聞かない。監督は彼と又話をしていたが、此の小癪な小僧を懲らしめてやろうと思ったのか、よしそれでは仕事が済んでから此処に集まれと言った。仕事が済んで皆が集まった。彼は直様ボクシングの様な格好をした、猛者が前に出るといきなり打って来た、猛者はその腕を掴み中に潜り込んだ瞬間一本背負い鮮やかに決まった。皆口を半分明けポカンとなった。彼は腰を打ったのか手で押さえ立ち上がろうとした、猛者は直に彼に寄り腕と肩を支え立ち上がらせた。そして手を差し伸べ握手を求めた、彼は日本人の敵意が無いのを悟ったのかあの鋭い目が和みそっと微笑んで手を握った。周りに居た数人の半島人と仲間の数人は皆手を叩いた。猛者は一躍我が中学の英雄になった。
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